山田奉行所の関連遺跡
(伊勢市)
20代保科淡路守供養碑・波除堤。28代山田肥後守子女の墓碑。34代高井山城守嗽盤。44代河野対馬守家 臣稲荷石像。47代秋山安房守墓碑。48代本多伊予守常夜灯一対。 [伊勢市,57,女]
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山田奉行について少し調べてみました。
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関連事項に
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徳川幕府の地方行政/司法府
徳川幕府は全国の要所に直轄の行政/司法府を設置しました。
おひざもとの江戸町奉行,京都所司代,大阪城代などです。神都伊勢の山田奉行もその一つです。
山田奉行の役割
意外ですが,
御遷宮の宰領
が
第一にあげられています。日常業務は
神領の支配と公事(くじ)裁判
です。
それと海運の要衝である
伊勢湾口の幕府水軍が山田奉行に属します
。
幕末まで実戦の機会
はなかったようですが,[虎丸][孔雀丸]2隻の軍船と多数の関船(駆逐艦の役割)を擁し,たび
たび水上訓練を催しています。
このため,水主同心(かこどうしん)と呼ばれる役人がおりました。この役割から奉行所が有滝や
小林(おはやし)に置かれた意味が分かります。
歴代奉行
奉行には禄高3000石クラスの旗本が任ぜられ,大諸侯と対等の官位従5位下に叙せられて,
役料3000石が支給されました。
幕末まで
48人
が任命され,そのなかに二見の恩人7代
花房志摩守
,
のちに江戸町奉行となり大岡裁きで有名な18代
大岡能登守(越前守)
がいます。
奉行所と関連遺跡所在地
慶長8年(1603)度会郡有滝村(現伊勢市有滝)に
御奉行の御屋敷,諸役人の御長屋,御船蔵が
新設されました。しかし有滝は遠いためか,高柳/下中之郷/一之木などの役宅を裁断所としていま
したが,新たに
伊勢市吹上町
一本木に御役所
を新築しました。
寛永12年(1635)度会郡
小林(おはやし,現御薗村)
に移転。 13,970坪余 御役所,
御奉行の御屋敷,奉行所後方に組屋敷,北方に水主同心,大湊に支配御組頭と与力衆の場となって
います。
庶民の評判
風が吹く吹く 小林風が 権が強うて恐うござる
寛永/正保のころ神領一般庶民に口ず
さまれたと言われる語りです。
参考文献
次の本を参考にさせて頂きました
橋本石洲著「伊勢山田奉行沿革史」
神都雲夢園 昭和52年(1977)1月20日発行著者は奉行
所役人の子孫で,豊富な一次資料に基づいて書かれているので,信頼性高いものと考えられます