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志摩守供養碑2002-11-22 |
花房志摩守(1581〜1641)供養碑
花房志摩守は寛永8〜寛永18(1631〜1641)山田奉行を務めました。寛永12年10月(1635)御薗小林に奉行御屋敷と御役所を竣成,翌年有滝と吹上から役所を移転するなどの業績を残しています。
また、 志摩守は二見地区に下項に述べるような施策を行いました。これに対して二見の人々の願いが叶い、その謝恩の気持ちでこの碑が建てられています。碑は木立の中にひっそりと建っています。
いまも、お正月には、この碑の前で「ゆかり箕獅子」の舞を奉納しています。参考→「箕獅子」
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二見の神領復帰
二見はもともと神領(伊勢神宮領)だったのを北畠氏,つづいて鳥羽藩九鬼氏が押領したため、住民は長い年月高い年貢に苦しめられました。
元和8年(1622)二見郷の年寄が神領復帰を山田奉行に嘆願、以来苦闘を続けていました。
寛永10年(1633)鳥羽藩が国替えになったのを機に,ときの山田奉行花房志摩守の尽力で神領復帰がかないました。
寛永18年(1641)江戸に帰っていた志摩守が病死をされ、二見の人々はその報を聞き謝恩の気持ちから、ここに供養碑を建てました。
詳しくは碑の説明板の内容をどうぞ。
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供養碑説明板2002-11-22 |
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徳川三代将軍家光の時代に年貢に苦しむ二見町を救ってくれた当時の山田奉行花房志摩守が没したのでその遺徳を後の世まで忘れないため建之したものである。(二見町、77、男)
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