山田奉行について少し調べてみました。アンダーラインの青字をクリックして下さい。関連事項に
移動します。尚、推薦の言葉にある遺跡については未調査で、紹介に至っておりません。
徳川幕府の地方行政/司法府
徳川幕府は全国の要所に直轄の行政/司法府を設置しました。 おひざもとの江戸町奉行,京都所司代,大阪城代などです。神都伊勢の山田奉行もその一つです。
山田奉行の役割 意外ですが,御遷宮の宰領が第一にあげられています。日常業務は神領の支配と公事(くじ)裁判 です。それと海運の要衝である伊勢湾口の幕府水軍が山田奉行に属します。幕末まで実戦の機会 はなかったようですが,[虎丸][孔雀丸]2隻の軍船と多数の関船(駆逐艦の役割)を擁し,たび たび水上訓練を催しています。 このため,水主同心(かこどうしん)と呼ばれる役人がおりました。この役割から奉行所が有滝や 小林(おはやし)に置かれた意味が分かります。
歴代奉行 奉行には禄高3000石クラスの旗本が任ぜられ,大諸侯と対等の官位従5位下に叙せられて,
役料3000石が支給されました。
幕末まで48人が任命され,そのなかに二見の恩人7代花房志摩守,
のちに江戸町奉行となり大岡裁きで有名な18代大岡能登守(越前守)がいます。
奉行所と関連遺跡所在地
慶長8年(1603)度会郡有滝村(現伊勢市有滝)に 御奉行の御屋敷,諸役人の御長屋,御船蔵が 新設されました。しかし有滝は遠いためか,高柳/下中之郷/一之木などの役宅を裁断所としていま したが,新たに伊勢市吹上町一本木に御役所を新築しました。
寛永12年(1635)度会郡小林(おはやし,現御薗町)に移転。 13,970坪余 御役所, 御奉行の御屋敷,奉行所後方に組屋敷,北方に水主同心,大湊に支配御組頭と与力衆の場となって います。
庶民の評判
風が吹く吹く 小林風が 権が強うて恐うござる 寛永/正保のころ神領一般庶民に口ず さまれたと言われる語りです。
参考文献 次の本を参考にさせて頂きました
橋本石洲著「伊勢山田奉行沿革史」神都雲夢園 昭和52年(1977)1月20日発行著者は奉行
所役人の子孫で,豊富な一次資料に基づいて書かれているので,信頼性高いものと考えられます |
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