192.浜島、堂の薬師さんの護摩焚き  ( 志摩市浜島町 )

伊勢志摩きらり千選+
                護摩焚き、初めに四方を矢で射て 2014-1-12
               
(ポインタをあて見る画面)導師による願意読み上げ
柴燈護摩焚き
  ここ浜島の堂山には真言宗のお寺、長福寺があり、地元では「堂の薬師さん」と呼ばれています。毎年1月にはここで柴燈護摩焚きが行なわれます。

  柴燈護摩焚きは、午後5時、6時、7時の3回あり
その後、護摩火による火渡り、餅蒔きと続きますお寺の行事予定
  法螺をならして修験者一行の入場、護摩壇の前の八角の炉に柴が盛られ、東西南北に弓を射る法弓の作法の後、柴に点火。
  住職が導師となり、願意を読み上げ、その後、修験者が護摩火を囲み太鼓を鳴らして祈祷…。

  このように修験者は作法に従い、燃え盛る炎の中不動明王をお招きして、真言を唱えながら所願成就を願い、護摩焚きを進めていきます。
正式名は南海山明王院長福寺
  正式名は南海山明王院長福寺、通称薬師堂。真言宗の醍醐寺派で本山は京都の醍醐寺。ご本尊は薬師如来です。現住職は明王院十三世 山本弘純師。脇時として不動明王像がありました。

  (以下はお寺で頂いた栞によります)
  お寺の歴史については
幾たびかの火災で寺に残る資料がなくはっきりしません。僅かに残る過去帳から、初代住職の没年が永禄2年(1559、室町時代末期)とのこと
  一方「志陽略誌」に寄れば、それ以前の鎌倉時代に堂山にあったのは、伊勢世義寺を本山とした修験の南海山明王院で、一般には[薬師堂」とよばれていたといいます。
 
  また、ご本尊の薬師如来は寄せ木造りの88cmの坐像で、光背に日輪があります。「極楽寺蔵書」によると、この仏像は永禄4年(1563)にいずれからか田曾の浜に流れ着いたものがさらに、、南張から塩鹿に流れ着き、これを寺に納めたものといわれています。。
       護摩焚きの日の長福寺本堂2014−1−12
    (ポインタをあて見る画面)ご本尊薬師如来
         修験者に支えて貰い、おそろおそろ…2014−1−12
(ポインタをあて見る画面)火渡りを始める前に刀でお祓いを行なう修験者
最後に火渡り
  柴燈護摩の後、最後に家内安全無病息災を願っての火渡りです。護摩の残り火で作られた、火道を一人ひとり参拝者が渡ります。

  境内にはいつの間にか大勢の人が集まり、素足になって火渡りの順番を待っています


  境内には入り口近くに2つほど露店が並んでいました。広島焼きにおでん屋さん
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インフォメーション  

志摩市浜島町。

 

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