165波切の石工
( 志摩市大王町波切 )
波切漁港の大改修のおりには地元波切の石工が石積工事を行った。そのことから石工の数も多く技術力も高く、全国へ出稼ぎに行ったことから、有名になった。(大王町、65、女)
大慈寺2004−6−1撮影
石材は米子浜の安山岩
波切の石工の祖ともいわれるのが、この大慈寺の石塀を積んだ石工 林与吉で、波切の石垣職人の最初の人といわれています。
大慈寺は1857年(安政4年)に火災に遭い、1860年に本堂再建の際石塀が作られましたから、この石塀は140年以上たっているわけです。
石材は近くの米子浜の安山岩で、材料の入手しやすさが波切の石工を育てたのかもしれません。
独特の 柔らかい表情
とても丁寧な作りで、石のあわせ面が隙間なくぴったりと積まれ、更にすべての石の表面がふっくらとした局面に加工されています。
そのため全体に独特なやわらかい表情を見せてくれます。
写真中央に1つだけ出っ張った石は何でしょうか?
石工の「造形的な遊び」を感じさせます。あまりに良くまとまった石塀に一種の破調を求めたのかもしれません。
取材中に見かけた、
昔の波切の石工の仕事かも知れない
、という石垣や石塀を並べてみました。
大慈寺石塀 2004−6−1撮影
波切港岸壁2004−6−1撮影
漁港は花崗岩の矢羽積み
波切港の岸壁も波切の石工たちの仕事ですが、時代が移り、波切漁港大改修(1918〜1928)の時のもので、材料は花崗岩に変わり、積み方も「矢羽積み」と変わりました。現代にも通ずる実用本位の石積みといえましょう。
波切の石工は与吉を祖として、明治末には30人ほどでしたが、漁港大改修を契機として、さらに全国的な築港、河川工事などの需要とともに急増し、昭和のはじめには300〜500人もいたといわれています。
又仕事場も日本全国に展開し、最盛期には30以上の県に及びました。
しかし時代の変遷で昭和50年代ころから徐々に減り、後を継ぐ若者もいなくなったそうです。(以上参考:大王町史)
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志摩群大王町波切。今も残る石工の仕事は1つは波切大慈寺の周囲の塀で、もう1つは波切の港の岸壁です。
米子浜(通称ボンボラ)
あじさい寺(大慈寺)
松井仙右衛門
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