172.松井孫右衛門と人柱の碑
( 伊勢市中島町 )
A 江戸時代度重なる宮川の洪水から人々を守るために堰堤の人柱となった人の碑。その所に山口誓子の句
「孫衛門西むき花のここ浄土」などある(小俣町、58、女)
B 宮川の人柱として活躍した忘れられない人物です(伊勢市、30、男)
孫右衛門供養碑
2006−4−1
(ポインターを当ててみる写真は)孫右衛門石像碑
人柱となった孫右衛門さん
神様と祀られるのにこれほどふさわしい人はいないでしょう。宮川の洪水から人々を護るため,人柱となってくれたのです。
辻久留の宮川の河原に突き出したような形で浅間堤が残っていますが、その先端近くに孫右衛門の供養碑があります。
堤の祠内にはシンプルな石像が供養碑として置かれています。年月が経ってか、かなり磨耗も激しい石像です。
宮川の氾濫を鎮めるために
昔、たびたび宮川が氾濫し、人々は難渋していました。これを見るに忍びず、孫右衛門は自ら申し出て、[一説には寛永10年(1633)] 人柱になりました。
その後は、中島側の宮川堤は決壊したことがないと言い伝えられています。 (伊勢市広報(2002-No952)より)
孫右衛門の最後を語る言い伝えをNEXTページに載せています。
義人松井孫右衛門
ビデオ「宮川堤の人柱」。
このビデオは伊勢志摩ビデオ
サークルの安田昇氏の作品で、上映時間は約10分です。
浅間堤の奥に
2006−4−1
山口誓子句碑
拡大
誓子句碑
孫右衛門の供養碑の傍らに山口誓子の句碑があります。
孫右衛門 西向き 花のここ 浄土 誓子
また、
「誓子句碑アルバム」
では次のように述べています。
「桜の季節に行くと、土堤は花の満開で、そこに孫右衛門の像がある。西に向いている。西に向いているのは浄土のほうに向いているのだ。しかし花の土堤は、浄土さながらである。
孫右衛門のいうここが浄土なのだ。孫右衛門は浄土を欣求しているが、すでに浄土にいるのである。孫右衛門の霊 安かれ」
増水のたびに
子供の頃、ここでよく遊んだものです。
この写真に見える右側の木の根本が祠の様になっていてここに入って遊びました。
もう30年ほど訪れた事がありませんが、今回の豪雨でも堤防が切れなかったのも孫右衛門さんの偉業かと思い、忍んでおります。
度会橋から宮川右岸を300mほど上ったところです
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