旧太吉屋旅館についての思い出   

   五ヶ所浦在住 山本篤さんに伺う

         

 西浜太吉さんのこと

 
西浜多吉さんは頭も良く、商売熱心で、すごい働き者。太吉屋という商家を中心に、旅館を営む傍ら、時代の先端を行くような商売を次々と始めた人です。映画館、煮干加工販売、ラムネなどの清涼飲料加工販売、アイスキャンデー製造販売など手広くやっていました。
 アイスキャンデーでは冷凍機がこわれてアンモニアが漏れた時は,結構臭かったですね

 楓江館のこと

 現在も残る洋館は元は旅館で、楓江館と名づけ、玄関の上の看板にはHUKO HOTELと書いていました。電気のない時代には、当時としてはめづらしいアセチレンガスのガス灯をつけていましたね。
 この洋館の3階部分(川下側)は築後約50年ほど経ってから増築したもので、元は2階建で屋上に六角塔を載せた形です。屋上は手すりもあって夕涼みには最適でした。
 外壁の板は、切原神社が五ヶ所神社に合祀されたときの境内の立ち木を使わせてもらっていて、桧のいい材料らしく、今もしっかりしています。 神社の木を住宅に使うもんじゃないといわれてますが、多吉さんはそんなことには無頓着でした。


 なお、「楓江」というのはこのへんの土地の名前で、五ヶ所川の河口が楓の葉のような形をしていることから付いたものです。

 林清三郎さんのこと

 この洋館を建てた大工の棟梁の林清三郎は私の伯父で、仕事の合間には冗談ばっかりいっている面白い人でした。彼の実家の名は「城者」、神職の「林」家に養子に入り、最後は「奥村」家に替わり奥村清三郎を名乗っていました。この辺りでは奥村のほうが通りがいい。

 この洋館を建てた(1913)後、五ヶ所浦では孫六旅館(1933年竣工、2008年に撤去)、観光旅館「二葉」(1935?年竣工、現在も営業)が彼の建てたものです。

 ※観光旅館「二葉」は現太吉屋酒店のすぐ近くにあり、後からの建て増しはあるものの、清三郎さんが手がけた木造3階の大きな一棟が今も健在。(下の写真2008-9)