窯方祭 窯方
南伊勢町の東半には地名に「窯」の付く地区が7つあります。東から新桑〈さらくわ〉窯、棚橋窯、栃木(とちのき)窯、小方窯、大方窯、道行窯、相賀(おうか)窯です。昔は赤崎窯がありましたが、現在は河内の一部となっています。 窯は昔、製塩を業としていた名残といわれています。 
   窯方祭
窯方祭は、現在では通常の神事が行われ、「御証文受け渡し式」以外は特別の催しはありませんが、昔は、三日間にわたって行われ、八つの窯方から選抜された弓の名手が競う弓道大会や、時代衣装の行列などもありあり、大変な賑わいだったそうです。
昔(s40?)の窯方祭の賑わい(「南伊勢窯方古文書資料集」より
神社から会場に持ち込まれた、堅く封印された証文箱
拝観時、その内容について語り合う出席者
御証文受け渡し式

  大方窯の八幡神社の本殿に収められていた証文箱が200mほど離れた生活改善センターに運びこまれ、七窯方の区長や関係者列席のもと、神職よる神事の後、受け渡し式が行われました。
 式次第は左のような内容です。
慎重に開封し、証文を一つ一つ確認する担当窯方区長さん
御証文
御証文〔1450〜1810〕にはいろいろなものがありますが主として山の権利に関するもので,他に北畠家からの安堵状,法度、訴訟、各種の覚書などで、そのほとんどが県の重要文化財の指定を受けています。

 写真は証文の中にある平氏の系図の一部です。平清盛の孫に当たる維盛が十津川〈和歌山県)に逃れ、その末裔がこの土地に移り住み、製塩業を営み、さらに製塩業から離れ今日に至ったとされています。

 式典に参加された窯方の方々は皆さん、自分たちは桓武天皇に始まる平氏の末裔であると固く信じておられるようでした。

 なお、その証文の内容についてはすでに、印刷物で公開されています。〈例「南伊勢窯方古文書資料集」村田米吉編)