《片枝梨》
里のうちに「明神跡」というのがあり,その側の岩上に「片枝梨明神」の小祠があったが,今は合祀せられてなく、只老梨樹あるのみである。太さ約三尺、高さ約ニ十五尺、地上五尺の所から二又に分かれ、一年交替で、南北両枝のうち一枝に実るという。私は昭和三十一年七月この地調査の時に実見したが、両枝ともに結実していた。
《四季桜》
里の南方、板敷浦にあったが古く枯死したものである。伝えていう、昔この地に目通り1丈の四季桜があり、一年中花が咲き乱れていた。一念坂上田村麿がその名木を伝え聞いてはるばるこの地に見にきた。そのとき里人はこれを栄誉とし、海岸より舟百艘を桜のある地まで浮かせ並べ、その上に板をしいて船橋を作り、その上をお通し申した。今に田村家(たぶらけ)、板敷の名が残っている。四季桜は今いう不断桜のことであろう。
《刈らずの真菰》
ここにいう真菰は水草の真菰ではなく、茅または萱の類である。里の西南方、字「大方浦」の南山地一帯にあった。之は萱を神聖視する点から言い出したものであろう。波切の恵比寿社の灯篭や、坂崎の「チワ引き」などと通ずるものであろう。
《鳴かずの蛙》
大江寺の北西方、字恵ヶ谷の小流に住むもので、特に岩倉に通ずる「乱れ橋」の付近に多いという。所謂殿様蛙でなく土蛙である。これは土色を呈し、全身にいぼのある小形の蛙である。鳴くには鳴くが大きな声を出さない種類である。
《さかさま川》
これは字「のりがせ」にある。大方浦の奥地の小流に大夕立などがあるとき、俚称「堀切の大谷」に集まる大水のため逆流するものをいうとのことである。
《蒔かぬ麻》
昔は「麻倉島」に盛んに繁茂したというが今は絶滅したという。どんな姿のものか知る人はない。吉田東伍博士は、荒島に蒔かぬ麻という野草があるといっているが、安楽島でも知る人はない。
《女漕ぎ舟》
この地だけでなく、志摩地方では男よりは女のほうがよく働くので、遠隔の田畑山林へ夫婦が働く時には、他人の目に付くところでは、妻は背に子どもを負いつつ櫓を握る。男がいたわって初めから漕げば、自らも知りながら、表向きではこれを妻に甘いといって笑う。大方浦へ行く時には、その岬にある大松の下で男が交代してやることにしている。この松を里人は「かわりの松」と称している。
(以上,鈴木敏雄著「志摩の民俗」より)