かんこ踊由来
 「佐八由来諸記」によれば、伊勢神宮藤波長官の教えにより、天下泰平、五穀豊穣、万民安穏の祈祷をなし、旱天に雨を乞うにあたって「児踊」を行ったので、その古例を今に残したといわれ、
  また、「藤波戦記」に「慶長五年(1600年)の頃、本州伊勢の国より神踊の流行あり、人々相集まり、頭に赤熊〔シャグマ〕をかぶり羯鼓〔カンコ〕を打ち、地を転じて踊る…」とあり、慶長の頃各地に流行したのかもしれない。

  また一説に、昔ダッタン人が出漁中南海に流されて定住し、郷里を偲んで始めたとか言われる説等あるが、明確な文献も無く口伝があるのみである。
  「皇人十一代垂仁じん天皇の御代皇大神宮御鎮座なるをお慶び申し上げて踊りたるものなり
」と。「佐八由来諸記」に記述されている。
  また、昔、三度も大火あり、村が全焼するという災害があり、以後「村三軒となろうとも、この踊をやめません」と願掛けした願踊であるとも言う。
  後には、豊年踊精霊踊等仏的要素も含んだ郷土芸能として今に継承せられている
註:以上はかんこ踊(共敬/2007年)当日の説明チラシを転記したものです。