油屋お紺

高照山大林寺(浄土宗西山禅林寺派)。
   この左側に比翼塚がある

         お紺と孫福斉の比翼塚。
向かって左側がお紺の墓で「俗名おこん年四九」(拡大参照)
と刻まれている。

油屋は、当時古市三大妓楼のひとつであった、寛政八年五月、医師孫福斉は馴染み
のおこんを相手に酒を飲んでいたが、他の客に呼ばれて中座したおこんが戻らない
のに業を煮やし九人斬りの殺傷事件を起こす。
 この事件の二ヶ月後に、事件を脚色した「伊勢音頭恋寝刃」が大阪で上演された。