湯夫池と堰堤(右) 2014-6-19
(ポインタを当て見る画面は)堰堤から見下ろす南張の田園風景 |
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満々と水を湛える湯夫池 |
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湯夫池(湯夫の谷池)は志摩市浜島町南張の西北端にある人造灌漑池である。→マップ
面積1町5反歩あまり、現在も南張町の田畑を潤す重要な水源である。
1845年(弘化2)から3年間、この造成に率先して当たったのが、越賀村村長、第五代井上太(多)市、本名井上佶啓(みつひろ)である。
彼は当時の17ヶ村を束ねる大庄屋の地位にあり、鳥羽藩主の命により、造成を行なっている。
この大事業完遂のため、井上太市は行政手腕を発揮、多額の資金を借り、私財も投入し、力の限りを尽くして、この灌漑池を完成している。
当時、1832年(天保3)以来、日本は全国的に大凶作に見舞われ、志摩も大飢饉に喘いでいた。池造成後の1852年(嘉永5)の大旱魃の際は南張村はこの池によってやっと難を逃れたという。(志摩町史)
→参考:郷土志摩25号「越賀村往昔の偉徳を偲びて/小川久五郎」(A)
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