光明寺の「山門」と「本堂(別画像)」 |
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金鼓山光明寺
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臨済宗東福寺派、本尊は木造阿弥陀如来坐像。 天平年間(729-48)聖武天皇の勅願によって,前山鼓ヶ岳に創建された。
当時は天台宗であったが、鎌倉時代末に禅僧月波恵観によって中興され臨済宗に変わった。
延元3(1938)年には、南朝勢力挽回のため、後醍醐天皇の皇子、義良親王を奉じて北畠親房親子や結城宗広などが、大湊から出帆して東国へ向おうとしたが途中難風にあい、宗広は当寺に入って再挙を計ったが果たせぬまま他界した。
このように光明寺は南朝と密接な関係をもっていた。
前山にあった光明寺は、いつの頃か、吹上町に移建され、寛文10年(1670)の大火で厄災し現在地に移った。
* 恵観禅師は結城宗広の子といわれる。 |
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