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「左くまのみち」と書かれた道標のそばで子供の頃よく遊びました。両親から熊野詣での道しるべとして昔の人が利用したという話を聞いたように思います。(度会町、27、女)
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2005−5−8撮影 |
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熊野詣の道しるべ
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その昔、熊野詣での脇街道として、多くの人々に利用されてきた宮川、一之瀬川沿いの道。現在でも、「左くまのみち」と刻まれた道標が残り、往時を偲ぶことができます。
道標に彫られた文字は 〔南〕左くまのみち 〔西〕天保十五年甲辰九月 現住覚雄代 北村武八建 〔北〕右 神代より国を束ぬる寺なれば 福智をわかす仏なりけり 〔東〕(梵字)国束寺観音堂 是より二十二丁 北面の文字は国束寺のご詠歌で湧福智山国束寺(ゆぶくちさんくづかじ)を読み込んでいます。
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熊野街道
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熊野街道は熊野三山への参詣道として古くから人々に知られた街道ですが、自動車道の発達とともに、旧街道の姿は失われつつあるようです。
右の略図は「歴史の道調査報告書1〔熊野街道〕(三重県教育委員会1981年)」を参考にしたもので、作図上簡略化しています。 特に三瀬谷以南は大内山川、自動車道、街道、JR線が相互に交差し複雑になっています。
平生〔ひろお〕の道標は脇街道にあり、現在の県道38号から少し北に外れた田園地帯の一角に建っています。
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