43.国束寺   ( 度会町平生 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
 小学校6年間の冬休み毎日座禅を組みに通った思い出があります。
(度会町、27、女)
      
                         本堂の大悲殿2012-3-3 
     (
ポインターを当てて見る画面)天井画は檀家のこどもたちの作
             

国束山南麓の名刹

  伊勢巡礼第9番。和宗「湧福智山国束寺」四天王寺の末寺です。

  本堂は旧国束寺の荒神堂(嘉永6年-1849建立)を移築したもの。(ただし、屋根の形は変えたとのこと) ご本尊は十一面観音立像(90cm)。

  その他 優れた仏像が数多く並んでいます。

   ご住職のお話では 昭和27年(1952)国束山頂からこの地に移転。そのとき和宗となったとのこと。


  推薦者の言われるように,12月25日〜1月7日まで座禅会が行われます。
住職ご自慢の鐘
  住職ご自慢の一つは鐘です。宝暦7年の作で、お寺が人家から少し離れた場所もあって、周囲の野山にになじんで良く響き、余韻がとても長いのです。撞きたい方はどなたでもどうぞ、ということでした。

  境内には三界萬霊塔や宝篋印塔、灯篭など旧国束寺から移築したもの、旧参道の丁石などがたくさん並んでいます。

  「茶寿観音」という名の観音様もありました。108歳の長寿を願うのだそうで、現住職の父上の発案とか。長身の優美な観音様です。
                            鐘楼2012-3-3         

             旧国束寺山上伽藍絵図(国束寺蔵)の一部 
国束寺の由来
  1400年前,聖徳太子が十一面観世音菩薩をお祀りしたのがはじまりと伝えられています。その後聖武天皇,嵯峨天皇の篤いご信仰により6院132坊を有するまでに発展,弘法大師もこの地を訪れ「胎蔵界曼陀羅の山」と唱讃されました。
  中世戦火で全て焼けてしまったのを江戸時代、藤堂高虎公や紀伊徳川藩のご加護で再建され伊勢国の名刹として栄えました。
  天保5年(1834)の「山上伽藍絵図」(国束寺蔵)に当時の様子を偲ぶことが出来ます。

  しかし明治の廃仏毀釈や昭和の農地解放により,衰微を余儀なくされ、2次大戦後一部を大阪四天王寺に移し、国束寺は国束山南麓の平生に移築され、今日に至っています。
(パンフレットより抜粋)

                            
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インフォメーション  

度会町平生(ひろお)
伊勢方面からは県道:伊勢−大宮線,平生バス停を右(山側)に入ったところです。少し解かりにくいので、バス停付近で土地の人に尋ねることをお勧めします

マップ
 

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