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一之瀬城址
一之瀬城址は一之瀬川の流域,脇出地区の小高い丘(88m)にあります。(マップ)
古く南北朝時代、この地域は伊勢国司北畠氏(南朝方)の勢力下にあり、伊勢神宮に近い戦略的位置から、北朝方との激しい攻防が繰り広げられたと考えられています。
南朝方の中心人物であった北畠親房は後醍醐天皇の皇子、宗良(むねなが)親王を奉じて、当時豪族愛洲氏が城主であった一之瀬城に迎え、ここを南朝方の拠点としたと考えられています。
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宗良親王
宗良親王(1311〜1385)は南北朝時代、室町時代の皇族で、後醍醐天皇の王子。南北朝時代の南朝側の中心人物のお一人。歌道に優れる。
宗良親王は自らの歌集「李花集」の中で、
「延元二年(1337)の夏の日伊勢国一瀬という山の奥にすみ侍りしに郭公を聞きて」という添え書きと共に
「みやまおば
ひとりないてそ
ほとぎす
われもみやこの
ひとはまつらむ」
という和歌を残しています。
このことから親王がこの地に居住していた事実がうかがえます。
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一之瀬神社
境内の記念碑に寄れば
一之瀬神社は
■1907年(明治40)にこの地区の各字の氏神を合祀して、市場に一之瀬神社を建立。
■1913年(大正2)現在地に社殿を造営して、ご遷座。
■1973年(昭和48)新社殿を造営。
毎年2月11日には境内で南中村、脇出、市場、和井野の4地区合同の獅子舞が盛大に行なわれます
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小学生の頃、「みやさん」と呼ばれていて、秋は「しいのみひろい」をしたり、「どんぐり」を集めたり、普段はおにごっこをしたり、「和井野」をながめたり、学校のすぐ裏にあったのでよく遊びに行きました。楽しかった。(度会町、27、女)
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