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日本最古の供養塔
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更に二見町史を見ると制作年代について以下のように述べています。
「上記の丙戌は、本塔の姿から天正14年(1586)と、60年前後の大永6年(1526)と正保3年(1646)とが考えられる。
しかし当地方でこの種の塔の形式の流れからして、天正からさして古くはなっていないと思われる。
このことは左隣の天文銘六字名号塔と比較すると、各部の手法が明らかに粗略といえる。時代が新しいわけである。(参考:天文は1532〜34)
つまり山形、段形や全体の整形の度あい、更に名号塔には蓮華座があり、本塔にはない等の点から、本塔は名号塔より新しいことが分かる。
また正保期まで下げると、本塔のような板碑形は一般的に姿を消してしまう。以上のことから天正期をみるのが妥当であろう。
現在日待板碑で日本最古のものは、茨城県の文禄4年(1595)のものである。したがって本塔の丙戌年を天正14年(1586)と読みかえると、日本最古の日待供養塔となる。」
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左から天文銘六字名号塔、 六字名号日待供養塔、 宝永月待塔 拡大
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