97.田曽のかつお船
( 南伊勢町田曽浦 )
日本一のかつお村。(南勢町、30、男)
一年一度の里帰り(2005−2−13撮影)
田曽港停泊の遠洋漁業船
写真は里帰りした田曽船籍のかつお船第一大洋丸499トンです。田曽船籍のかつお船は一本釣りが10隻、まき網漁が2隻で、すべて遠洋漁業です。
静岡県の焼津港を母港として遠洋航海に出て、漁獲があると戻り、これを年に5〜7回ほど繰り返す操業です。田曽で水揚げすることはありません。
少し以前は2月初めには10隻近くの鰹船が並んだそうですが、最近はた田曽に戻る船は1〜2隻だそうです。
2月〜5月は赤道直下での操業
通常、2月〜5月は太平洋の赤道付近(南北10度位)で鰹を追い、以降5月〜11月は鰹とびんながマグロの群れを追いミッドウェイ辺りから徐々に北上し、房総から宮城沖にかけての日本近海で漁を行います。
1月は一ヶ月掛けてドック入りとなります。
この鰹船の活躍で、県の漁業統計によると、志摩度会海区(古和浦から鳥羽の小浜まで)では田曽漁港が総漁獲量、船の総トン数ともにトップです。
生活物資の搬入、キリバス人もちらほら(2005−2−13撮影)
乗組員の約半数はキリバス人
乗組員は一本釣りの船の場合、30人ほどで、約半数がキリバス人、地元(田曽、宿浦、相賀、礫〕は5〜6人、他は全国から来ているとのこと。
三重県遠洋漁業船員組合の山本組合長さんのお話では、
「昭和50年代は、田曽の遠洋漁業は盛んで、200トンクラスも含めて90隻もあり、接岸できず沖で待っていて、交代で接岸した時代もあったよ」
以上、上記山本さんと三重県鰹鮪漁業協同組合で伺いました。
船員年金について
昭和37年に第五東丸に乗船した、記録がもしあれば、教えて下さい
住所は志摩市大王町船越2056−19です。
アドレスは yoshi-ki@shima.mctv.ne.jp
船員手帳には船長田中孝治で記載されているのに、社会保険庁のほうには資料が無いとの、事で支給されません、すみませんが、37年の第五東丸の乗船目簿でも、有れば、教えて下さい、宜しく頼みます。
南勢町田曽浦。
田曽のえびあみ漁風景
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田曽浦三崎灯台
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