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2003-6-6 |
黒船来襲に備えて
幕末、黒船の来襲に備えて設けた砲台の跡です。草が生い茂り解りにくいのですが直径3mほどの丸いくぼ地で、その先は絶壁で安乗岬が目の前です。
直ぐ後ろ側には、菅崎明神の祠があります。
対岸の安乗神社に大砲が保存されていますが、砲身長1730mm、砲口径が82mm、これを支える基部径が380mmで、菅崎のものも同程度と推測されています。実際には使われていません。
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近くに菅崎公園
砲台以外には物見櫓、弾薬倉庫、井戸、炊事兵屯舎などがあったといわれています。
現在はこの岬の直下で働く海女さん達が暖を取る焚き火場と、道具小屋などがありました。
眼下には荒磯が続き、直線距離で250m東に、菅崎公園があり、春雨艦隊遭難記念碑その他が建てられています。この辺りの字(あざ)名が見崎で、岬名が菅崎です。
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井泉 2003-6-6拡大 |
今も水をたたえる井戸跡
砲台跡の後背が谷(釜ヶ谷)で、雑木林になっており、ここに井戸跡があります。現在は六畳ほどの池になっていて、縁には一部石垣も見られます。水が枯れていないことから泉になっているのかもしれません。
この谷は太平洋戦争時には畑になっていたそうで、斜面にはいくつかの石垣もあり、段になっています。 取材では相差町の世古寿夫さんに現地のご案内を頂き、故事来歴につき数多く教えていただきました。お礼を申し上げます。
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幕末の黒船騒動の時代に菅埼(見崎)に攘夷の大砲陣地を築き備えた跡と兵屯の井戸が残っている志摩の国唯一の黒船史跡。(鳥羽市、67、男)
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