111.答志大畑遺跡
( 鳥羽市答志町 )
和具港から500㍍ほどの所蟹穴古墳の眼下に大畑遺跡が広がっている。古くから各時代の多くの遺物が採取され、その散在面積は約6万平方メートルに及んでいる。平城京跡出土の「答志郡和具郷」「答志郡答志郷」と墨書された「木簡のふるさと」ではないかと言われている。現在は旅館や民家が多く建っている。(鳥羽市、67、男)
築上岬から和具港を見る
2003-2-17
弥生から平安時代に至る遺跡
大畑(おばたけ)遺跡は鳥羽市答志島和具の海岸沿いに広がる大型の遺跡です。
赤く示した部分が大畑遺跡、矢印は岩屋山古墳(上)と蟹穴古墳(下)のおよその位置です。
弥生前期から平安時代に至る住居址、炉址等の遺構、各種の土器類の遺物が多数発見されています。
NEXTページに2005年の「大畑遺跡展」の内容を紹介しています。
山側に古墳が並ぶ
図に見るように、大畑遺跡は南に面する平地で、後背の丘陵地に数多くの古墳(黄丸)が並びます。
発掘調査は1961年、1969,1970、1971年、さらに2004年に教育委員会や大学関係者など専門家チームにより行われ、土器などの散布面積が6万平方mに及ぶことが明らかになっています。
平城京宮跡出土の木簡に「志摩国答志郡和具郷□□里戸主大伴部祢麻呂」の名で海産物を調として差し出していたことが知られており、これと関連付けられる資料の発見が期待されましたが、無かったようです。
(図は蟹穴古墳発掘調査報告(1999年)を参考)
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土師器と須恵器が多い
土器類の出土物は
・弥生土器(凡そ紀元前300~紀元後300、褐色)、
・土師器(古墳時代~平安時代、製作は専門の土師部による)
・須恵器(古墳時代後期~奈良・平安時代、高温焼成、薄墨色)
の三種類にわたっていますが、特に古式土師器と古墳後期の須恵器が多く発掘されています。
形状は、壺、長頸壺、杯(蓋と身)、高杯、甕、大甕、などです。
(以上、おばたけ遺跡発掘調査報告書〔1970&1971〕を参考)
おばたけ遺跡は志摩国の一大拠点遺跡です
現在開催中の「おばたけ遺跡展」に伴う発掘調査を担当した伊藤裕偉です。紹介文にも書きましたが、おばたけ遺跡は答志島の大遺跡というだけでなく、旧志摩国内の一大拠点遺跡といっていい遺跡です。学術的価値がとても高い遺跡といえます。観光地として整備されている遺跡ではありませんが、その地に立つと今の鳥羽市内がよく見え、いにしえの人々が船を駆使して交易にいそしんでいた情景が目に浮かぶようです。この遺跡の重要性をぜひ知って頂きたく思います。
鳥羽市答志町。鳥羽、佐田浜港から約12分で和具港に着く。
答志岩屋山古墳
答志蟹穴古墳
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