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首と胴と別に築上(つかげ)岬山上に祀られたのは、嘉隆の遺言と伝えられているが、首塚から見る夕景、朝熊山の稜線に沈む夕日は、悲運の武将を象徴する景色である。(鳥羽市、67、男) |
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答志島尾根に沈む夕日2005-4-5 |
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首塚から夕日を 見る
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鳥羽地方に君臨した戦国の武将九鬼嘉隆(1542〜1600)は自刃して果てますが、その首を葬ったとされるのがこの首塚です。答志島和具港近くの築上岬の山上にあります。
ここからの夕日は、答志島の尾根に沈むため位置が高く、悲運の武将を象徴するような赤々とした夕焼は頻度が少ないようです。
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九鬼嘉隆の首塚
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首塚は現在でも特に墓石は無く、真ん中に大きなモチノキがあり、回りに御影石の柵があるだけです。
嘉隆は織田豊臣の時代に水軍を駆使して、朝鮮戦役などに大活躍した武将ですが、関が原の役で織田方についたため、敗北の後、答志島の和具の洞泉庵で切腹します。庵(史跡のみ)の近くに胴塚があります。
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首塚2005-3-30 |
首塚から鳥羽港方面を見る 2005-3-30 |
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嘉隆が活躍した
鳥羽の海
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部下が主を思い、嘉隆が活躍した鳥羽の海を見渡せる場所に埋葬したと伝えられています。
ここからは、鳥羽湾の大半を眺めることが出来ます。
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