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戦国時代の鳥羽城主であり、九鬼水軍の将。織田・豊臣時代に大活躍したが、徳川の時代となり、自刃して果てる。(鳥羽市、67、男)
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九鬼嘉隆 (1542―1600)
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安土桃山時代の武将。
志摩国(三重県)田代城主宮内大輔)定隆の次男として志摩に生まれる。
豊臣秀吉に仕え、87年の九州征伐、文禄・慶長両役には水軍の将として功績をたてた。
関ヶ原の戦いには西軍に属し、父子敵味方に分かれて戦った。
敗北後は鳥羽湾の答志島に隠れたが、守隆の家老の勧めで、慶長5年10月12日洞仙庵で自刃、鳥羽の常安寺に葬られた。
九鬼嘉隆 「郷土の偉人」、鳥羽ホームページからの引用です。
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日本丸
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右の写真は文禄・慶長の役で,使われた日本丸の模型の写真。嘉隆が指示して作らせたといわれている。
「日本で初めて鉄板を張った巨大軍船を建造し、織田信長が手を焼いていた無理水軍を打ち破り、信長の絶賛を受けた鬼宿丸(日本丸)の模型である.船長33メートル,1000丁櫓であった。」(2007年鳥羽市の展示会説明より) |
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日本丸(所有者要望により本画像転載厳禁とする) |
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