61.堅子(かたこ)の洗米石
( 鳥羽市堅子町 )
鳥羽市南端の堅子は、古くから海上輸送の運送業が盛んで多くの運搬船があった。その船が出航する時、洗った米を港にある石に供えて航海の無事を祈った。(鳥羽市、67、男)
堅子漁協前で
2003-8-20
航海の無事を祈って
洗米石は推薦のことば通り、航海の無事を祈って、女性が出航の際にお米を海水で洗い、この石のくぼみに、お供えをするものです。およそ30cm(直径)10cm(厚さ)です。
写真の石は平成12年に新調されたもので、この石で3代目です。前のものは浜に置かれた自然石で、いくつか小さな窪みがあったそうです。
この堅子は古くから海運業を生業とし、この地方の物資を主に名古屋へ運んでいたようです。そのため、家を屋号で呼ぶより船名で呼んでいたとのこと。現在ではその船名が僅かに残るのみで海運業に従事する人はいないそうです。
郷土記録「窯子への道」
堅子の郷土史家でもある中山楠平さんに著書(写真)を頂きました。表題の竈子(かまこ)は「堅子」の古い地名です。古文献に「志摩国竈子ノ御厨…」とあることから、堅子は古くは神宮領で塩田があり塩竈(=塩窯)があったと推定されています。
内容は堅子村の生い立ち、堅子の名称、神社仏閣、年中行事、方言収録などで、中山氏が関係の文献や聞き書き調査により、長年をかけてまとめられたものです。
郷土記録「竈子への道」
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