35.私の見た雨乞い(大内山梅ヶ谷)   ( 大紀町大内山梅ヶ谷  )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
雨乞いの行事は何処にもあることだが、昭和4〜5年ごろ私は10歳くらいの時実際に見た農民達の真剣な雨乞い。「アーメ ターモレ ダイボサア」“雨 給れ大菩薩”と天を仰ぎ 夜を徹して何回、何百回と唱えつづけたあの姿………。そして夜が明けた。雨だ!雨だ!雨だ!そこはまさしく雨であった。これぞ奇跡!昨夜は満天の星であったのに……。少年の私にはあまりにも不思議さに驚きの声を上げた。必死の面持ちで唱えつづけたあの光景、70年過ぎた今も鮮烈によみがえりその声は耳朶を打つ。現代人は迷信だ、雨が降ったのは偶然で、気象配置のせいというであろう。然し米作りのため先人達はこのように水への熱い思いがあったことを若き人々にも伝えていきたい。(大内山村、81、男)
村中が雨の降るのを願った
 雨乞いは第2次大戦の終戦(1945)までは、水不足の地域では実際に行われていました。 大戦後農地改革の一環として各地で灌漑工事が進み、旱魃の恐れが減るにしたがって、雨乞いはほとんど見られなくなりました。しかし、農耕儀礼として或いは民俗芸能として、各地にまだ残っているようです。(参考:民俗大事典、小学館)

イラストは兵庫県の民俗芸能「ザンザカ踊り」です。

 音声は三重県四日市市平尾町の雨乞い唄で須。その説明によれば
『雨が降らないと、お多度さんへ参り御幣をもらってくる。それを田んぼの真ん中に立て、氏神さんお篭りをする。村中の人が交代で雨乞いの太鼓をたたきながら、歌を歌い続け雨の降るのを願った。昭和19年に行ったのが最後』(三重の民謡、三重県教育委員会より抜粋)

NEXTページには日本さまざまなの雨乞いについて紹介しています。

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