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伝説の火の玉投手
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沢村栄治(1917―44)
三重県宇治山田市(現伊勢市)生まれ。1934年(昭和9)秋、京都商業5年生で全日本チームに選ばれて、来日したアメリカ大リーグ選抜チームと対戦したときベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらの超一流打者に対し好投、1対0で惜敗したが、この善戦の模様は今日まで語り伝えられている。36年、プロ野球の公式戦が始まると巨人軍のエースとして活躍。37年春24勝4敗で、初の最高殊勲選手となる。大きなドロップと速球は、今日まで彼以上の球威を示した者はいないといわれる。兵役に二度とられたため、巨人軍では実働5年間、登板数105試合、62勝22敗、通算防御率1.71。
1944年(昭和19)12月台湾沖で戦死。
1947年(昭和22)彼の名を冠した「沢村賞」を制定、一時セ・リーグの投手のみを対象としていたが、現在はパ・リーグも対象として、該当者のない場合を除き優秀投手に毎シーズン贈ることにしている。その背番号14は巨人軍の永久欠番である。1959年(昭和34)第1回目の野球殿堂(野球体育博物館)入り。--スーパーニッポニカ より
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