190.吹上町子供甚句   ( 伊勢市吹上 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
A 私が中学1年の時参加しました。息子も娘も小学校、高校時代に参加しました。私の父も昔参加しまし
  た。それぞれの楽しい思いでがあります。(伊勢市、60、男)
B 御木曳の時に、あまり意味もわからず歌いました。今は、出だししか記憶がありません。子どもの頃の
  思い出です。(伊勢市、60、男)
世木神社で子ども甚句を踊る子供たち2007−5−19
吹上甚句
  お木曳の道中の合間(休み)に、曳き手達が輪になって甚句を唄いながらリズミカルに演ずる踊りです。
  現在では吹上町だけに引き継がれているもので、特に子供達だけで踊るものを子供甚句と呼んでいます。(動画参照)

  吹上甚句は文政年間(1818〜29)に相撲の力士から伝授されたと伝えられ、角力甚句系の歌詞(七七七五調)が多く見られます。
  その踊りの振り付けは当時興行の際、力士が土俵で余興に行った形を受け継いだものといわれ、「鉄砲」に似た仕草もあるユニークなものです。
  吹上町のお木曳行事は文政以前からから角力の軍配(唐団扇)が吹上町の印として使われいること、吹上町の本木遣りの歌詞が角力の勝負を模していることなど、古くから角力と深い縁があるようです。
動画
茜(あかね)さん
  吹上町お木曳メンバーの女性陣は赤い法被で、通称「茜さん」。相撲甚句は茜さんだけでも踊ります。掛け声も華やかで、とても魅力的です。

  吹上甚句は「甚句」「ストトコ節」「散」で構成され、甚句やストトコ節の唄の合間には「あいの手」を入れ、変化をつけています。歌詞は当時広く流行ったと思われる軽妙な俚謡でNEXTページに歌詞の一部を載せています。
  お木曳で綱を引くだけでなく、合間にちょっとした芸を見せることで、自分達も楽しみ、周囲の観客も楽しませようという、この演目はとても気が利いていて、江戸庶民文化の懐の深さを感じさせます。
 
  動画は2007年お木曳のもので男性や子供達も参加しています。
動画更に詳しい情報
     男性も子供も飛び入りした茜さんの吹上甚句2007−5−19
           報告書(青)、続報告書(ピンク)と法被の軍配印
吹上甚句調査 報告書
  平成5年に吹上甚句保存会が結成され、甚句の由来調査が進められ、同6年には「伊勢吹上甚句」という立派な報告書として完成しました。
  今年(2007)更に詳しく調査した続報告書が公刊されました。本ページの説明は大半をこの報告書によっています。
  その由来を各地の民謡、里謡との類似性、お伊勢参りや御師の活動との関わり、吹上町と角力との関係など多面的に捉えた労作です。
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甚句の歴史
吹上の甚句は、江戸の文政の頃にお相撲さんが教えてくれたと言い伝えられています。

文政6年(1823年)のお木曳行事に関する文献によりますと、この頃の吹上町のマークが軍配だったことが記されています。
また、新町(今の曽祢や大世古あたり)で、「ジンク踊り」が行われていたことが記されています。
このことと言い伝えから、やはり吹上甚句は文政の頃には唄われていたのではないかと思われます。

また、吹上甚句の文句には、当然、相撲に関する内容が入っていますが、伊勢自体に関する文句は少なく、ほとんどが伊勢以外の土地のことを唄っています。
このことより、お相撲さんだけでなく、御師、伊勢参りの人々などによって
歌い継がれたのではないかと思われます。
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インフォメーション  

伊勢市吹上町,マップは吹上町氏神である世木神社を指しています

 

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