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角屋七郎兵衛 (1610―72)
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辞書(スーパーニッポニカ)で調べると
江戸前期の貿易商人。伊勢市大湊出身の廻船業者で松阪の城下町形成に尽力した角屋七郎次郎の次男。1631年(寛永8)安南(アンナン)(ベトナム)へ渡航し、国王の一族阮氏(げんし)の娘と結婚。
鎖国後も現地にとどまり、交趾(コーチ)日本町の頭領となった。寛文(かんぶん)年間(1661〜73)の初め、海外居住邦人の日本への通信が許されて、消息が明らかになり、以後彼は年々中国船に資金を融通し、商品を託送するなど故国との取引を継続した。
彼が、松坂の本家角屋七郎次郎にあてた注文状などによりその活躍状況が明らかにされ、また日本町の状況をもうかがい知ることができる。
なお交趾ツーラン近郊の蝋石(ろうせき)山磨崖(まがい)の碑には、40年仏像重修寄進者の1人として彼の名が刻まれている。
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