松井仙右衛門頌徳碑

姓松井氏考諱仙右衛門。母京都府華族三室戸陳光氏次女修代長男。
明治六年四月六日波切ノ本邸ニ生ル。十二歳ノ時父君ヲ喪ヒ謹厳ナル慈母ノ手ニ育マル。

資性英邁恬淡寡欲、夙ニ産業ノ振興ニ意ヲ注ギ、思ヲ深ク漁業ノ前途ニ寄セ、
将来沿岸漁村ノ発展ハ漁業ニ依る外、術無キヲ痛感、
衆望ヲ負テ大正四年本部選出県会議員ニ当選。

以来東奔西走、同僚ハ勿論反対派の共鳴を得,公共の為一身ノ栄達ヲ度外視シ、
庁下ニ寓居ヲ求メ日夜尽瘁、当局ノ認識ヲ深め、従来多く顧ラレザリシ志摩郡ノ
道路護岸モ面目ヲ一新。

大正六年国県ノ認ムル所ト成リ、百万円ノ巨額ヲ要シタル太平洋岸唯一ノ波切漁港現出ス。
爾来其機能ノ発揚ハ漁業者航海業者ノ利用頗ル多ク、南ハ九州ヨリ東ハ宮城岩手ノ漁業者モ
波切漁港ヲ根拠トシテ活躍、年額弐百万円ヲ突破ス。

君ハ又本町ハ人口ニ比シ耕地面積少ク、自給自足の不安ニ思ヲ致シ
従来何等利用価値ノ無カリシ英虞湾ノ一端ニ干拓ノ大業ヲ計画シ,
国県ノ助成ト私産ノ傾注ニ依リ、波切町在来田面積六分ノ一以上ノ水田ヲ
造成シタルガ如キ君ノ高遠ナル理想ハ随所ニ発現。

更ニ大ニ天寿ヲ保チ、漸ク発展ノ緒ニ就キタル我町前途ノ為君ノ健在ヲ祈シガ、
昭和七年病ヲ得、活動力ヲ欠キシヨリ 町民ハコノ偉人ニシテ恩人ノ健康回復ヲ衷心ヨリ念願シ
此発露ハ町民一心不乱神仏ニ祈願ヲ籠メ、再ビ一陽来復ヲ渇仰セシガ,
春去リ夏過ギ天高ク気清ク、君ガ創設セシ耕地満面ノ稲ハ時雨天恵を享ケ金色ヲ湛ヘ
豊穣ノ瑞祥横溢セルニ反シ,干天斯人ニ寿ヲ籍サズ、昭和七年十月四日溘焉トシテ易簀セラル。

爾来波切漁港ハ天下ノ漁港トシテ全国的ニ活用セラル。
茲ニ国利民福ニ寄与セラレシ君ガ功績ノ一端ヲ録シ
波切神社ノ霊地ニ頌徳碑ヲ建立、長ヘニ追慕ノ誠ヲ効須。

  昭和十七年十二月壱日    波切町漁業協同組合建之


註:松井仙右衛門頌徳碑の全文を横書きにしたもので読みやすさを考え句読点を入れ、
  改行し適宜行間を空けてあります。
  碑の文章は一行28文字25行の句読点なしの文章です。
  漢字は一部を除き現代漢字に変えてあります。

 なお文中「尽瘁(じんすい)」は「力を尽して労苦する」の意
       「溘焉(こうえん)」は「たちまち」の意
       「易簀(えきさく)」は学徳のある人の死、あるいは人の死。
 (以上広辞苑より)