この知らせをうけた籐九郎は、すでに波切の村はずれで初音を奪い去ろうと待ち伏せておった。向こうから初音がやってきた。籐九郎は両手を十字にひろげ、
「待てどこへ行くのじゃ。玄番允のところへはいかさんぞ.さあ、オレといっしょに来い」
初音は籐九郎の手をはらいのけ、逃げようとした。逃げる初音に刀を抜き、斬りかかった。初音、覚悟せい、エイッ」


 その時、突然、汗かき地蔵が現れたから、籐九郎はびっくり。
「これはなんということじゃ」
 ぼう然とたつ籐九郎、刀は汗かき地蔵にあたり、まっ二つに折れた。このスキに初音は危うく助かったが,再び,波切城に連れ戻された.。

 初音の勝手な振る舞いに澄隆は怒り、せっかん。ついに端城の丘に牢を掘り、初音を閉じ込めてしもうた。
  親と恋人との両方の板ばさみに苦しみ、その晩、初音はなきながら夜を明かした。そして、今度は小船で熊野灘の沖合いを目指し、荒れ狂う海に必死に舟をこいだ。
 しかし、女の力では荒れる大王崎の波にはとうてい勝てない。いつのまにか気を失っていた。気が付いた時にはもとの端城の浜へ戻されておった。

 「ここは端城の浜。なぜダラク浄土(熊野灘の海底)に行けないのでしょう」
  初音は女の持つ悲しさを嘆き、小高い塚に深い穴を掘り、自ら身を投げた。生き埋めになった初音は穴に入る時、
「なまじ、女は美しく生まれてくるものではない」と言い残していったそうな。

 それからは塚の木立の上に雨が降る日には初音の亡霊が現れ、女のすすり泣く声が聞こえる。そこで村のもんらは、ここに祠を立て、石地蔵を置き、霊をおまつりした。

株式会社アイブレーン発行
「伊勢市民話の旅」より

  戦国のむかしな。波切には城があった。そこの殿さま(九鬼澄隆)に初音姫という、そりゃあ賢くてうつくしい姫がおった。
  あまりの美しさに志摩の国の一円まで名が知れ渡っていた。地頭らはなんとかして妻にもらいたい、と争って澄隆 に申し込んでおった。
 ところが、父の澄隆はすでに甲賀地頭の籐九郎のもとに嫁がせることを腹に決めておる。

 ある日、澄隆は初音に、籐九郎のもとにとつぐようきつく言いきかせた。初音は嫌がった。
「私にはお互い愛しおうた玄番允(越賀地頭)さまがおります。父上どうか玄番允さまと一緒にさせてください」
「いいや許さん。お前は籐九郎の嫁になるんや、ええな」
 初音の頼みに澄隆は耳を貸そうともせなんだ。そればかりか、籐九郎のもとへ嫁がせる手はずをととのえておった。

 それから数日たった。ある日の夜。初音はとうとう玄番允を慕って、みなが寝しずまったころを見はからい、静かに波切砦を抜け出した。そして、月明かりをたよりに、海ぞいを、越賀村へ走った。