73.光明寺   ( 伊勢市岩淵 )

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錦水橋の近くのお寺、当地で鐘楼をもつただ一つの寺です。
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   光明寺の「山門」と「本堂(別画像)」
金鼓山光明寺
  臨済宗東福寺派、本尊は木造阿弥陀如来坐像。
天平年間(729-48)聖武天皇の勅願によって,前山鼓ヶ岳に創建された。
当時は天台宗であったが、鎌倉時代末に禅僧月波恵観によって中興され臨済宗に変わった。
  延元3(1938)年には、南朝勢力挽回のため、後醍醐天皇の皇子、義良親王を奉じて北畠親房親子や結城宗広などが、大湊から出帆して東国へ向おうとしたが途中難風にあい、宗広は当寺に入って再挙を計ったが果たせぬまま他界した。
  このように光明寺は南朝と密接な関係をもっていた。

  前山にあった光明寺は、いつの頃か、吹上町に移建され、寛文10年(1670)の大火で厄災し現在地に移った。

  * 恵観禅師は結城宗広の子といわれる。
光明寺の一つ鐘
明治維新以前、伊勢山田の寺院中で光明寺だけが、梵鐘所持を許可された。
「光明寺の一つ鐘」といわれた。

       顕彰碑と墓石(向かって右)
結城宗広の墓石
  南朝の忠臣、奥州白河城主結城宗広が光明寺で亡くなり、その墓がある。
光明寺の文化財:
   ・光明寺残扁      重文
   ・結城宗広並夫人書状  重文
   ・阿弥陀如来坐像    県文
   ・北畠親房御教書    県文
   ・豊臣秀吉朱印状    県文
   ・世木氏処分状     県文     など
※光明寺は「伊勢の文学と歴史の散歩」(中川ただもと)を参照しました。

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伊勢市岩淵三丁目

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