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写真提供:度会町 |
久具都比売神社はその名が平安初期から前期にかけて成立したとされる「延喜式」の「神名帳(じんめいちょう)」にも記されており、これが成立した頃までにはこの地に存在していたと考えられます。 祭神は「皇太神宮儀式帳」によれば、「久具都比売命(くぐつひめのみこと)」と「久具都比古命(くぐつひこのみこと)」とあり、ヒメ・ヒコという男女の対偶神になっています。
神宮摂社であるが、倭姫命の巡行以前からこの久具に住む人々の守護神として祀られていたと思われます。
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久具にまつわる巡行伝説 .
「倭姫命世記」によると、 倭姫命は大和から伊賀、近江、美濃、尾張などを経て伊勢に入られた。伊勢では桑名、安濃を南下し滝原(大宮町)に入られ、ここにしばらくとどまられた後に度会町へ移られた。垂仁天皇廿六年、倭姫命が皇太神を奉じて滝原より大河の南の道を経て和比野(和井野)を過ぎ、久具付近に至った時に久求都彦(くぐつひこ)が来るれたので、命が国の名を問うて久求小野と答えたので久求社を定めたとある。
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町内に唯一の伊勢神宮摂社で私が幼い頃の遊びの場であった。当時の神殿は北側にあったがその後東側に移り現在は北側に建てられている。40年に一度の遷宮行事がある。(度会町、53、男)
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