230.六字名号(ろくじみょうごう)日待供養塔   ( 伊勢市二見町今一色町 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
昭和63年町制80周年にあたり町史編纂のため町内文化財の調査を実施。このとき供養碑を発見、専門家によって種々調査した結果日本で一番古い碑であることが判明した。現在小祠内に保存している。(二見町、77、男)
             2006-3-31
日待供養塔
  日待供養塔は、現在小祠(写真中央)内にあるもので、下の写真の中央のものです。
  脇にある教育委員会の説明板によれば、
「日待ち」は村人たちが一ヶ所に集まって夜籠りし日の出を礼拝する行事です。

  この供養塔は高さ89センチ、幅32センチの緑色変岩板碑で「南無阿弥陀仏」の六字名号と「日待供養」「丙戌十月八日」と文字が刻まれています。

  上記の「丙戌」は、天正4年(1586)に当たり、現在では日本最古の日待供養塔で、当時仏教を広めようとした人たちで立てられたものとされています。

日本最古の供養塔
  更に二見町史を見ると制作年代について以下のように述べています。

 「上記の丙戌は、本塔の姿から天正14年(1586)と、60年前後の大永6年(1526)と正保3年(1646)とが考えられる。
  しかし当地方でこの種の塔の形式の流れからして、天正からさして古くはなっていないと思われる。

   このことは左隣の天文銘六字名号塔と比較すると、各部の手法が明らかに粗略といえる。時代が新しいわけである。(参考:天文は1532〜34)

   つまり山形、段形や全体の整形の度あい、更に名号塔には蓮華座があり、本塔にはない等の点から、本塔は名号塔より新しいことが分かる。

  また正保期まで下げると、本塔のような板碑形は一般的に姿を消してしまう。以上のことから天正期をみるのが妥当であろう。

  現在日待板碑で日本最古のものは、茨城県の文禄4年(1595)のものである。したがって本塔の丙戌年を天正14年(1586)と読みかえると、日本最古の日待供養塔となる。」

         
     左から天文銘六字名号塔、  六字名号日待供養塔、  宝永月待塔 
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                    六字名号塔の左脇にある庚申さん2006-3-31
庚申さん
  供養塔の祠の左隣に庚申さんの祠があり、青面金剛が青く塗られ、前掛け(?)姿で祀られています。石面に「享保(1716〜35)」とありますから江戸時代の中頃の作りと思われます。

  ここは、この地区の四辻で、古くからの祈りの場所なのでしょう。


  写真の左の石碑は庚申供養の石碑で、祠の外に並んでいます
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