145.鳥羽城跡と城山公園
( 鳥羽市鳥羽3丁目 )
A 鳥羽市役所、鳥羽小学校一帯が、永禄12年(1594)に九鬼嘉隆が築城した鳥羽城跡である。
鳥羽城は水軍の将の城らしく海に向かって大手門があった。(鳥羽市、67、男)
B 中之郷桟橋か定期船等の船上から鳥羽城跡を見上げると、三面海に囲まれた天然の要がい地を利用した
優れた城であったことが想像出来る。(鳥羽市、67、男)
航空写真(写真:鳥羽市提供)
九鬼嘉隆の居城
鳥羽城は戦国時代から安土桃山時代に活躍した戦国武将である九鬼嘉隆(−1604)が1594年に作った城で、推薦者のことば通り、海戦に秀でた嘉隆らしく、天然の要害を巧みに生かした城になっています。
嘉隆は8年かけて城を作りながら、関が原の戦いで親子が東西に分かれるという悲劇のため、実際に住んだのは6-7年だったようです。
写真の赤線がほぼ城のあった所で 内陸側とは堀と川によって隔てられていました。(別画像を参照)
現在は高台の部分に鳥羽小学校と運動場、城山公園、少し下がって市役所、幼稚園、大山淀神社があります。
九鬼氏の後、徳川時代には6人の城主が替わっていますが、この経緯はNEXTページをご覧ください。
城山公園
城山公園は鳥羽城址の中の北側にあり,高台になっていて、推薦のことば通り鳥羽の港が一望できます。
海抜18mと23mの2段になっていて,遊具もあり,整備されていて,散歩には好適です。市民の憩いの場といえましょう。
春、桜が満開、同窓会らしい若者グループが車座になって花見の宴です。
(拡大画像)航空写真で見ると鳥羽城跡の森の中に見える広場2つ(矢印)がそれです。
城跡からの眺め
多少木立が邪魔しますが、城跡の様々なところから、鳥羽の市街や鳥羽湾の景色をを楽しむことが出来ます。
目の前に水族館、その先に真珠島。観光船やフェリーが発着し,時折近鉄線が横切っていきます。
(拡大画像)北側に見える市街、近鉄の黄色の伊勢志摩ライナーとオレンジ色の特急が横切っています。
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鳥羽市鳥羽
九鬼嘉隆
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