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A 田丸城主久能家の家臣の子として勝田町に生まれた龍平翁は、長じて大阪に出て現在の朝日新聞を起こした先覚者。ゆかりの地に記念館を建て遺品を並べ偉業を讃えている。(玉城町、77、男) B 朝日新聞創設者 村山龍平翁生誕の地、役場前に記念館がある。(玉城町、33、男) |
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村山龍平氏関係展示 2006-6-2 |
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村山龍平記念館
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記念館は田丸城大手門前,町役場の北側に位置する。
1階は図書室,2階は郷土資料館になっている。郷土資料館には町で発掘された縄文の遺物に始まる歴史上の資料,そして村山龍平関係の資料が展示されている。
昭和58年(1983)4月3日村山龍平生誕133年祭の日に開館した。
館内の記念館設立主旨説明板。
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朝日新聞の創設者、村山龍平氏 |
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村山龍平氏は嘉永3年(1850)田丸藩士の家に生まれ,明治維新後伊勢に移住,のち大阪に出て貿易に従事,そして1881年に朝日新聞を創設する。1933年84歳で兵庫県の自宅でなくなられた。
大阪府議、衆議院議員、大阪市参事会員など政界でも活躍、国内外の受勲も数多い。
小学校講堂を寄付(1926)、田丸城跡の払い下げを受け、これを城山公園として田丸町に寄付(1928)、旧村山家跡地を町に寄付(現在の香雪園)(1932)等、地元への貢献も多く、つながりは深い。
村山龍平氏年表(館内展示から拝借)
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村山龍平氏銅像2006-6-2 |
館内遺跡の展示 2006−6−2 |
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遺物展示
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玉城町は先土器時代から平安時代に至る遺跡が多く発見されており、石器、縄文・弥生土器、須恵器、土師器、鉄器等の遺物が多数展示されている。
そのほか田丸城に関係する古文書や他の歴史資料も展示されている。
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村山さんと豊田糸店の関係 私の祖父「小山政七は1855生れ。1864、大阪の豊田糸店に入店し、住込みの丁稚奉公をしていた時、村山、上野両氏がガリ版のようなもので新聞を作っているのを見た、それがのちに朝日新聞になった」。これは、私の父が祖父から聞いたという伝聞です。 朝日新聞は1879の創業で、それ以前の事情は我々には窺えない点があります。もし、貴記念館に、創業以前に村山翁と「豊田糸店」との係わり合いについての資料がありましたら、簡単で結構ですからご教示下さいませんか。 尚、祖父は、丁度、1879に豊田を退店し自立、私が生まれるずっと前の1920に死去しています。 |
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