63.佐美長神社と鶴の穂落とし   ( 志摩市磯部町川辺 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
(佐美長神社)真名鶴伝承の名で知られる神社で、神話にふさわしく神々しい境内は一見の価値がある。(磯部町、47、女)
(鶴の穂落とし)磯部の御神田のおこりとなったといわれる昔話(阿児町、31、男)
拡大または別画像へ
         
佐美長神社
 佐美長神社は、かつて「真名鶴(まなづる)伝承」に登場する伝説にちなんだ神社で、伊雑宮誕生にまつわる「白真名鶴(しろまなづる)」の霊をまつった神社として知られ、別名を「穂落宮(ほおとしみや)」とも呼ばれています。(磯部町観光パンフレットより)

佐美長神社は伊勢神宮125社の一つで、伊雑宮の所管社。
境内は市内の喧騒を離れ、シーンと静まり返っています。

別画像は佐美長御前(みまえ)神社の4座。

真名鶴伝承
真名鶴伝説1
 皇大神宮御鎮座の翌年、鳥の鳴く声が昼夜高く聞こえて泣き止まずやかましかったので、倭姫命が使いを遣わすと、嶋(志摩)の国の伊雑の上方の葦原に、本は一基で末は千穂に茂った稲が生え、その稲を白い真名鶴がくわえながら鳴いていた。
それを聞かれた倭姫命は「恐し。事問ぬ鳥すら田を作り、皇大神に奉るものを」と感激され、その稲を抜穂にして、皇大神の御前に懸け奉った。
倭姫命は稲の生えていた場所を「千田」と名付け、そこに天照皇大神の摂宮を造られた。
これが現在の「伊雑宮」(皇大神宮別宮)であり、毎年6月24日には、その神田で御田植祭が行われ、国の重要無形民族文化財に指定されている。
また稲をくわえていた真名鶴を「大歳神」と称え、同じ場所におまつりされた。これが現在の「佐美長神社」(伊雑宮所官社)である。

真名鶴伝説2
伊雑宮ご鎮座の翌年秋、皇大神宮に真名鶴が北から来て昼夜鳴いた。倭姫命はそれをあやしく思い、使いを遣わすと、その鶴は佐々牟江宮前の葦原に還った。そこでは本は一基で末は八百穂に茂った稲を鶴がくわえて鳴いていた、それを聞かれた倭姫命は、この稲を抜穂にして、皇大神の御前に懸け奉った。これが懸税(かけちから)の起源である。
佐々牟江の地は、現在の明和町の行部と山大淀の間に位置し、式内社佐々夫江神社が鎮座する。
この伝承と仕来たりをもとに、この地に昭和24年伊勢神宮カケチカラ会が発足し、10月の神嘗祭と11月の新嘗祭には、両正宮の内玉垣と各別宮の端垣に懸税を奉り、その年の実りを大神に感謝している。(倭姫宮展より)
 

私もオススメ


あなたのオススメ意見をおまちしています。
意見を書き込む方は、「オススメする」からどうぞ。
オススメする

インフォメーション  

志摩市磯部町
 近鉄志摩磯部駅より徒歩5分。磯部小学校右隣。167号旧磯部町町役場近くの交差点に面する小さな石段を登ると佐美長神社境内。

 


戻る
HOME / アクセスマップ