90.磯部町的矢共同墓地   ( 志摩市磯部町的矢  )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
地区の共同墓地の中に、江戸末期から明治(大正?)期の無縁仏群がある。当時、的矢地区は避難港、風待港であったが、故郷を離れ、この地に滞在中に亡くなった船員らを住民たちが手厚く葬った。住民のあたたかさを感じるとともに、円錐状にそびえる墓群は、歴史の教科書には現れない民衆の人生を感じさせる。(磯部町、32、男)
         2004−7−12撮影
独特な無縁仏
 的矢は江戸から明治にかけて舟運の盛んだったころ風待ち港として栄えましたが、墓地にも他所に見られない数々の、その時代の名残をとどめています。

 推薦の言葉にある円錐状に積まれた無縁仏は二基あり,他に1928(s3)年にまとめられた無縁仏が一箇所あります。

 墓石の建立年号をざっと見たところ,寛文(1661〜72)以降ほとんど切れ目なく現在まで続いています。

的矢美作守の供養碑
 鎌倉から室町時代にかけて的矢湾一帯の公事,兵権、伊雑宮の神事をつかさどっていた的矢美作守の供養碑です。(詳しくは拡大表示の説明板をご覧ください)

 また、この墓地には北条霞亭(医業、1870〜1823)、中村九蔵(宮大工、正福寺山門製作)嶋田青峰、的浦兄弟(俳人)など有名人の墓があります。

 いかにも的矢ならではの墓は、「届け墓」です。
 高さ幅とも50cmほどの自然石のお墓ですが、「風待ちの船乗りたちが、この墓にお参りすることで、遠い故郷の墓参りをしたことになり家族の安全も聞き届けてくれた」というのでこの名があるそうです。

 其の他、墓石の側面に俳句や和歌を彫った文芸墓というのもありました。

拡大または別画像へ
     2004−7−12撮影
      2004−7−12撮影
十三仏像
 的矢の共同墓地から子的矢の海岸に降りる道の途中に十三仏像があります。

 これは室町時代に成立した信仰で、初七日から33回忌までの忌日に行う追善供養の仏事に不動明王から虚空蔵菩薩までの13の仏像を配当し祈ったものです。

 明治初期の廃仏毀釈の影響か、大分傷んでいますが、志摩地方では非常に珍しいものとのことです。

(本ページは磯部町史を参考にしました)

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インフォメーション  

志摩市磯部町的矢。

 

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