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2004-9-8 |
知盛山久昌寺
平清盛の四男知盛は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、自害したと言われていますが、平家の再興を願い伊勢市矢持まで落ちのびたとされています。久昌寺はこの平知盛を草創として健久元年(1190年)に建立されています。
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写経石
説明文によると久昌寺が昭和27年、本堂新築の際、知盛の墓を発掘したところ、平安末期の人骨2体、短刀一振、そして写経石数千個が発見されたそうです。一つ一つの石に墨で法華経の一部が記されています。
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2004-9-8 |
2004-9-8 |
山口誓子の句碑
境内には山口誓子の句碑があります。 句碑には「知盛の谷水田とし植田とす」と記されています。
「知盛が入って、住んでいた谷のことは知らぬ、今は棚田に勤勉な人々が働いていて、泥田を水田とし、更に苗を植えて植田としている。そうやってこの谷の月日が経過してゆく。昔を思い、今を思ったのだ。」
山口誓子がこの地を訪れた時の面影は今でもあちらこちらで変わらず残っています。
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平家伝説遺品。應京?年間大般若経写経石、重文阿弥陀如来、平知盛位牌(室町期のもの?)など。(伊勢市、71、男)
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