193.千束(ちづか)屋りと   ( 伊勢市古市町 )

伊勢志摩きらり千選
推薦のことば
江戸時代、著名な伎楼「千束屋」の「おかみさん」。一代で財を築いたが、その商売をやめ、歌舞伎の貸衣装屋をはじめる。そして、牛谷坂改修工事に多額の浄財を提供した、社会事業家としても大切な人物。
(伊勢市、52、男)
    千束屋で遊ぶ弥次喜多一行
妓楼千束屋の女主人
  当時の数ある古市の遊廓の中で、屈指の妓楼、それが千束屋であった。だが、この千束屋の女主人りとは、晩年になって、外宮長官言彦の話を聞き、突如遊郭を廃業し、貸衣装屋に転じた。

  妓女を解放し、今まで築き上げてきた財産を、牛谷坂改修のために、おしげもなく投げだしたのである。

  文化2年(1805)の秋に開始された工事は、翌3年の春、無事に完成。りとは、この功績により、苗字帯刀を許され、以後山田りとと名乗る。文政11年(1828)、88歳でこの世を去る。
牛谷坂
  牛谷坂と呼ばれるこの坂は、まず延宝2年(1674)内宮長官の藤波氏富が、山田奉行桑山丹後守貞政の許可を受け、数百両の私財を投じて改修されました。
  参拝者は、内宮への近道となるこの牛谷坂を利用するようになる。しかし、この当時の道は、今のようなまっすぐな坂道ではなかった。
  元禄10年(1697)山田奉行久永丹波守重高の命により、再度改修工事が行われる。
  さらに、文化2年(1805)古市の妓楼、千束屋の主人りと(当時65歳)は、山田奉行の許可を得て、千両余りを投げ出して本格的な改修工事を行うが、これが現在の牛谷坂である。

  牛谷という名はこの付近に牛鬼という怪物がいたという牛鬼伝説の由来による。

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 現在の牛谷坂(上から)2005-12-1 / 別画像は桜の頃(坂下から)2003-4-6
牛鬼伝説
牛鬼伝説....「枕返し物語」
中村の里にいた内宮禰宜、園田将監は、畑を荒らし回る鹿や猪から野菜や麦を守ろうと、下男を見張番に出した。夜、下男が寝ていると、突然枕をひっくり返すものがいる。目を覚ますと、「ヘビ女」が立っていて、「近くの牛鬼に夫と子供を食われたので、どうか退治してほしい」と頼む。それを聞いた将監が、見事に牛鬼を退治するという話。
      −以上 中川ただもと著「伊勢の文学と歴史の散歩」より

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